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東京地方裁判所 平成3年(ワ)2047号 判決 1993年5月25日

原告

石井敏男

石井林策

石井宏

右原告ら訴訟代理人弁護士

藤田謹也

柳原控七郎

右原告ら訴訟復代理人弁護士

土居久子

被告

石井ヒサエ

右訴訟代理人弁護士

輿石睦

松澤與市

被告補助参加人

甲野太郎

主文

一  東京法務局所属公証人甲野太郎作成の昭和六三年第四五六号昭和六三年五月二七日付け遺言公正証書による亡石井岩作の遺言は無効であることを確認する。

二  被告は、原告らに対し、別紙物件目録一の土地及び同目録二の建物について東京法務局江戸川出張所平成二年三月三〇日受付第一二七九五号の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

三  別紙物件目録一の土地及び同目録二の建物につき原告らが各五分の一づつの共有持分を有することを確認する。

四  原告らの別紙物件目録一の土地及び同目録二の建物の共有持分の確認についての主位的請求を棄却する。

五  訴訟費用は、三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

(主位的請求)

一主文第一、二項と同旨。

二別紙物件目録一の土地(本件土地)及び同目録二の建物(本件建物)につき原告らが各四分の一づつの共有持分を有することを確認する。

(二次的請求)

主文第一ないし第三項と同旨。

(三次的請求)

被告は、原告らに対し、本件土地及び本件建物のうち各八分の一の共有持分について、それぞれ平成二年四月五日付け遺留分減殺を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

(四次的請求)

被告は、原告らに対し、本件土地及び本件建物のうち各一〇分の一の共有持分について、それぞれ平成二年四月五日付け遺留分減殺を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

第二事案の概要

本件は、原告らが被告に対して、主位的に原告らの被相続人石井岩作(岩作、平成二年一月二七日死亡)が被告に対し相続財産を包括遺贈する内容の補助参加人である東京法務局所属公証人甲野太郎(本件公証人)作成の昭和六三年第四五六号昭和六三年五月二七日付け遺言公正証書(本件遺言公正証書)による岩作の遺言(本件公正証書遺言)は民法九六九条二号の要件を欠き無効であり、被告を岩作の養子とする昭和六三年五月二四日東京都江戸川区長に対する届出の養子縁組(本件養子縁組)が民法八〇二条一号により無効であるとして、本件公正証書遺言の無効確認、右公正証書遺言に基づく平成二年一月二七日遺贈を原因として岩作の遺産の本件土地及び本件建物(併せて「本件不動産」という。)についてされた被告に対する所有権移転登記(本件所有権移転登記)の抹消登記手続並びに原告らが本件不動産につき各四分の一づつの共有持分を有することの確認を、第二次的に右公正証書遺言のみが無効であるとして、右公正証書遺言の無効確認、右所有権移転登記の抹消登記手続及び原告らが本件不動産につき各五分の一づつの共有持分を有することの確認を、第三次的に右養子縁組のみの無効を前提とし、原告らが本件不動産について各八分の一の遺留分を有するとして、平成二年四月五日付けの遺留分減殺を原因として本件不動産の各八分の一の共有持分の所有権移転登記手続を、第四次的に原告らが本件不動産について各一〇分の一の遺留分を有するとして、右遺留分減殺を原因として本件不動産の各一〇分の一の共有持分の所有権移転登記手続を求める事案である。

一争いのない事実

1  (岩作の相続人)

岩作は平成二年一月二七日死亡したが、その相続人は、岩作の子である原告ら、岩作の養子である被告(養子縁組の有効性につき争いあり。)並びに岩作の次男顕三(昭和六三年四月三〇日死亡)と被告との間の子石井斐子、正人、康彦、良二及び重子である。その身分関係は、別紙身分関係図のとおりである。

2  (岩作の遺産)

本件不動産は岩作の遺産である。

3  (本件公正証書遺言の作成)

本件公証人は、被告の要請に基づき岩作方で昭和六三年五月二七日本件遺言公正証書を作成した。

4  (本件所有権移転登記)

被告は、本件不動産につき本件所有権移転登記手続をした。

二争点

1  (本件公正証書遺言の効力の有無)

(原告ら主張)

本件公正証書遺言は、民法九六九条二号の「口授」の要件を欠き無効である。すなわち、被告が本件公証人に対し、岩作の財産を孫の康彦に相続させるのはどうかと相談したところ、本件公証人は、岩作の財産は康彦に相続させるより被告が相続すべきと考え、その趣旨を公正証書書式に書いて岩作宅を訪れたが、本件公証人と岩作との会話は全く噛み合わず、本件公証人は既に作成していた右公正証書の原稿に合わせようと岩作の真意を無視し、岩作に対し強引に誘導と心理的強制を加えて、本件遺言公正証書を作成した。したがって、本件公正証書遺言は、岩作の自由な意思に基づく陳述なしに作成されたものであり、民法九六九条二号「遺言書が遺言の趣旨を公証人に口授すること」の要件を欠き無効である。

(被告及び本件公証人主張)

本件遺言公正証書は、岩作の自由な意思に基づいて被告に財産全部を遺贈することを本件公証人に口授した上、作成されたものであり、本件遺言公正証書は有効である。すなわち、原告らが、次男顕三の死後、岩作の財産の相続について口出しをしたことから、岩作は、被告を岩作の養子として、被告に財産全部を遺贈することを考え、昭和六三年五月二二日、被告と養子縁組をし、右財産全部を被告に遺贈できるよう公正証書を作成するように、被告に指示した。そこで、被告は、同月二三日、岩作の右指示に基づき、本件公証人の公証人役場を訪れ岩作の財産全部が被告に遺贈されるように公正証書を作成してもらうために来宅を要請した。本件公証人は、右要請を受け、同月二七日岩作宅を訪問した。そこで、右公正証書作成に当たり、岩作は、当初、長年岩作の面倒をみてくれた被告一家に財産を承継させるために、康彦に遺贈する意向を持っているように窺えたが、本件公証人が被告の労に報いるには被告に遺贈して、康彦が被告に孝行を尽くせば被告の遺言を将来承継できるようにするのが、最善であることを説明したところ、岩作も本件公証人の右説明を理解し、「岩作から被告へ、被告から康彦へ」の順次承継を明言し、被告に財産全部を遺贈する意思を本件公証人に表明するに至った。本件公証人と岩作との問答ががたがたしたのは、本件公証人の発言が聞き取りにくく、本件公証人も岩作の片言隻句の意味がよく分からなかったことによるものに過ぎない。したがって、本件遺言公正証書は、民法九六九条二号の「口授」の要件を満たした適法なものである。

2  (本件養子縁組の効力の有無)

(原告ら主張)

右縁組は、民法八〇二条一号の要件を欠き無効である。

(被告主張)

右縁組は、岩作の正常な意思能力に基づき作成されたもので有効である。

第三争点に対する判断

一前記争いのない事実並びに証拠(<書証番号略>、原告石井宏本人、被告本人、検証)から次の事実が認められる。

1  (岩作の生活状況)

岩作は、昭和三七年一一月本件建物を新築し、妻ハツ、その間の次男顕三、その妻被告及び顕三と被告との間の子五人と同居していたが、昭和四五年から昭和五八年にかけて、被告夫婦の子四人が結婚して家を出、岩作の妻ハツが死亡し、右昭和五八年からは本件建物には岩作、顕三、被告、その間の子正人の四人だけが生活するようになった。顕三は、昭和六三年四月三〇日肺癌で死亡した。その間、岩作及びハツが被告の日常の振る舞いについて不満の意を表すこともあったが、ハツ、岩作と順次亡くなるまで、被告が岩作夫婦の晩年の世話をしていた。他方、岩作の長男原告敏男は兵庫県三田市、三男原告林策、五男原告宏は岩作の都内に独立して住居を構え、本籍地も住居地に移していた。岩作は、四男の勝之が戦死した後、墓を葛飾区に建立していた。ところで、岩作は晩年徐々に視力が衰え、次第に歩行も困難になり、他人の介護を必要とするようになり、昭和六二年夏ころから江戸川区在宅老人援護係から週三回派遣される八木百合子(八木)の介護も受けるようになり、岩作の介護は、右八木の力を借りて、被告及び被告の子で行っていた。原告らは三名で毎月合計四万五〇〇〇円を集め、近くに住む原告林策が岩作の小遣いとして毎月岩作宅に届けに来ていた。原告宏も、原告林策と同様月一、二回前後岩作方に顔を出していた(<書証番号略>、被告本人)。

2  (被告が本件遺言公正証の作成を思い立った動機)

岩作は、顕三の死亡前から被告夫婦に岩作の墓守りを依頼し、入院中の顕三が死ねば岩作の墓に入れるように指示していた。そこで、被告は、昭和六三年四月三〇日死亡した顕三の葬式の際に、原告らに話して承諾を得た。ところが、被告は、同年五月二日被告の子康彦から、同月一二日原告林策から、原告敏男が顕三を岩作の墓に入れることに反対していることを知らされた。そして、被告は、同月一四日原告林策から重要な話があるので被告宅に被告の子を集めておくように指示され、翌一五日被告の子五人を集めたところ、原告林策から、「被告は岩作の遺産について相続権はないが、被告には悪いようにはしない、被告の子五人には相続権が合計で原告ら三人と同じく四分の一ある。岩作の墓には原告敏男が入るので顕三の墓は別に買うように。」といわれた(<書証番号略>、被告本人)。

3  (被告らが養子縁組と公正証書遺言を知った経緯)

被告は、右原告林策の話にショックを受けて、岩作の介護に江戸川区から派遣されていた前記の八木に右原告林策の話をして相談したところ、八木が区の家庭法律相談の窓口の相談員に相談に行ってくれた。そして、被告は、昭和六三年五月一九日、右八木から「岩作が被告を養女にし、被告に岩作の全財産を被告に相続させる公正証書遺言を作成すればいい。」ということを教えられた。そして、八木は、続いて耳の不自由な岩作に右養子制度と公正証書遺言の説明をした(<書証番号略>、被告本人)。

4  (原告らと被告との相続争いについて被告の岩作への説明)

しかし、被告は、原告林策の話が気になっていたところ、八木から同女の亡夫を八柱霊園に入れていると聞き、昭和六三年五月二一日、康彦に運転させ八柱霊園に行ったが、一年待ってくじ引きで当たらないと墓は買えないことが分かり、遅く帰宅したところ、被告らが無断で遅くまで外出していたことから岩作が機嫌を害したので、被告は、岩作に「顕三の骨は岩作の墓に入れない、被告には岩作の財産の相続権がなく、岩作の財産は原告ら三人が各四分の一、被告の子らが併せて四分の一を相続する。」との原告林策の話を説明した上、顕三の墓を探しに行っていたことを話した(<書証番号略>、被告本人)。

5  (岩作の養子縁組等についての言及)

岩作は、右被告の説明を聞いて、その場で、被告に対し「顕三が死んで間もなく、岩作も元気でいるのに、岩作の財産を分割するなんて、とんでもない。」、「被告に岩作の財産の権利がないというのなら、被告を岩作の養女にして、岩作の財産を相続させる公正証書を作成すればよい。」、「被告は岩作の死に水を取ってくれ。また、被告と被告の長男正人が将来岩作の家に住むのに困らないようすればよい。」という趣旨の話をした。そこで、翌二二日夜、岩作は、康彦ら被告の子五人と被告に対し「被告を養女にし、岩作の財産相続の遺言をする。」といい、康彦に対して「被告は女で男に太刀打ちできないから、岩作が死んだ後は被告を助けて、岩作の家を守ってもらいたい。」と話した。右養女の件も公正証書の件も岩作が口にしたのは初めてのことであった(<書証番号略>、被告本人)。

6  (被告らによる養子縁組の準備)

そこで、被告は、昭和六三年五月二三日午前、近所で親しくし岩作の知り合いでもある今田キヨ(今田)を訪問し、岩作が被告を養女にするにつき証人になってもらいたいと頼んで、岩作の下に呼び、岩作が、今田に「被告を岩作の養女にするので証人になってもらいたい。」と頼んだところ、今田はこれを承諾した。そして、被告は、同日の午後、被告の子重子と本件公証人を訪問し、「岩作が被告に全財産を譲る意向をもっているのでそのための公正証書遺言を作るために来宅されたい。」と依頼した。その際、重子が康彦に岩作の財産を継がせた方がいいのではないかという趣旨の発言をしたところ、本件公証人から取り敢えず順番で被告が継ぐ方がいいのでその旨の説明を岩作にしておいた方がいいという助言がされた。また、被告と重子は、本件公証人から岩作の家族関係及び被告が養女となることについて質問を受け、公正証書遺言の作成に必要な書類の準備を指示されて後日本件公証人に届けた(<書証番号略>、被告本人)。

7  (養子縁組届の作成、提出)

右二三日夜、被告の子重子が区役所からもらってきた養子縁組届用紙を持参して、被告と被告の子正人、康彦及び重子の四人が岩作の下に集まったところで、「被告を岩作の養女にするので右届出用紙に書け。」という岩作の指示で、康彦が、養子になる人(被告)の欄及び養親になる人(岩作)の欄を書き込み、必要箇所に押印した。ただし、養子になる人(被告)の父母の氏名、父母との続き柄の欄だけは被告が書き込んだ。岩作が康彦に養親になる人の欄の届出人としての岩作の署名、押印を代行させたのは、岩作の目が極めて不自由であったために任せたものと思われる。そして、証人欄については、予め了承を得ていた今田キヨ夫婦の署名、押印を依頼し、右二三日の内に今田キヨ夫婦の署名、押印を受け、ここに被告を岩作の養子とするための養子縁組届(<書証番号略>)が完成した。次いで、翌二四日被告の子重子は、右養子縁組届を区役所に届けた(<書証番号略>、被告本人)。

8  (公正証書の作成)

本件公証人は、昭和六三年五月二七日、公正証書遺言を作成するために公証人役場の女性事務員を伴って、岩作方を訪問した。右訪問に先立ち、岩作は、家人から公証人が来るということを告げられた程度で、前記6の公証人の助言等公正証書の内容については特に説明を受けていなかった。本件公証人は、本件公正証書遺言を作成する際、岩作のいる部屋には、本件公証人、その女性事務員、証人三名のみを残し、被告及びその子らを部屋の外に待機させて、公正証書を作成した。その間、公正証書遺言の中身(本旨)についての対話に三六分、読み聞けと承認の手続に八分、遺言者の署名に七分合計五一分を要し、その対話と読み聞け等の具体的内容の概要は次のとおりであった(<書証番号略>、被告本人、検証)。

(1) 対話の冒頭が、公証人の「あなた(岩作)にもしものことがあった際に、あなたの財産を誰にあげるか決めてもらえれば、そのとおりに書きます。分かりますか。」という質問に対し、岩作の「私は何も分かりませんからね。」という答で始まり、岩作は、公証人との対話の中で最初から最後まで「自分の財産を死後被告に譲る。」と自ら積極的に発言したことは一度もなかった。

(2) 公証人が「岩作の財産は、岩作の死後被告に、被告の死後被告の子康彦に順次譲ればよい。」という発言を、「被告、康彦の順に相続させるのが法律上一番正しい。」という趣旨の説明を加えながら繰り返して、岩作の財産を被告に相続させることについて岩作の同意を引き出そうとしたが、岩作は、「直接康彦に譲る方法はないのか。」という趣旨の質問あるいは「法律上誰からも苦情の来ないように、穏やかにやりたい。」という答えを繰り返した。

(3) 公証人が、岩作との対話の後、いわゆる読み聞けの段階に入っても、「岩作の財産を被告に包括的に遺贈する。」との読み聞けをして、岩作に右趣旨の意思の有無を質問するために、「はい、って言ってください。言葉で、うん、でもいいですがね、ちょっとはっきりさせておきますからね、それでいいですね。はい、で、…うんでもいいわけやな。ハッハッハ、うん、とおっしゃったからねそのとおり間違いないですね。」という質問をしたところ、岩作は、「これ、今、‥作るのは、ヒサエ(被告)…さっぱり分からん。」という発言をする有様であった。

(4) ただ、聞き取りの最終段階近く、岩作が「まあ、ヒサエに行って、ヒサエから康彦に行く段取りになるわけだね。」という質問をし、公証人が「そうです。」と答えると、岩作が「うん。」とうなずいた場面があった。そして、岩作が本件公正証書遺言に署名を終えた後に、「これが遺言書か。」と発言している。

(5) 最後に岩作が本件公正証書に署名し家人が捺印を代行した後、立ち会った証人も順次署名捺印して本件公正証書遺言(<書証番号略>)が作成された。

(6) 岩作は、被告が養女であることを直接肯定はしなかったが、顕三が亡くなった今、これまで面倒を見てくれた被告の厄介になる、岩作の墓守りは被告がしてくれると思っているという意思を表明した。

(7) 岩作は、本件公正証書遺言の作成の途中、たびたび居眠っている様子あるいは疲れた表情を示していた。

二次に、右認定事実に従い、争点について判断する。

1  争点1(本件公正証書遺言の効力の有無)について。

遺言者岩作は、確かに前記一の8の(4)のとおり岩作の財産を取り敢えず被告に遺贈する言葉を発し、自分が今遺言書の作成作業をしていることを意識していることがうかがえるが、右言葉は、右遺言作成の聞き取りの最終段階のことであり、大部分の時間を費やした対話中には、右8の(1)のとおり岩作が岩作の財産を被告に遺贈する言葉を自ら積極的に発言したことは一度もなかったことであり、しかも、右対話中に、右8の(2)及び(3)のとおり、本件公証人が岩作の財産を被告に遺贈するように岩作を誘導したにもかかわらず、岩作が右誘導に従った発言をしなかった結果に照らすと、前記8の(4)の岩作の言葉をもって、岩作が自分の財産を被告に遺贈する意思を本件公証人に口授したと認めることはできない。したがって、本件公正証書遺言は民法九六九条二号の「口授」の要件を欠き無効というべきである。

2  争点2(本件養子縁組の効力の有無)について。

前記一の3のとおり岩作は第三者である八木から被告との養子縁組について説明を受けていることに加え、右4ないし7並びに8の(6)の事実に照らし、本件養子縁組届出書の作成及び届出の当時、岩作は、顕三を岩作の墓に入れ、岩作の死後の墓守りを被告にしてもらう目的で、被告を岩作の養子にする意思を有していたと認めることができる。もっとも、原告宏本人の陳述書(<書証番号略>)には、「岩作は、昭和六一年ころ、原告三人、顕三及び被告を前に『岩作の家は長男原告敏男に任せたいが、現在兵庫県三田にいるから無理なら原告敏男の長男清八に譲りたい』、『今日まで顕三夫婦と共に生活してきたが一日たりとも楽しい日々はなかった。』という程、岩作は、顕三、被告夫婦を嫌っていたので、本件公正証書遺言及び本件養子縁組は岩作にその意思があるはずがなく無効である。」との記載がある。たしかに、被告は、前記一の1のとおり岩作及びハツに不満を持たれていたことがある事実はうかがわれるが、前記一の1のとおり顕三及び被告がハツないし岩作が亡くなるまで同居し晩年の面倒を見てきた生活の事実の重みを考慮すると、右岩作らが被告に不満をもっていた事実をもって直ちに岩作が被告を養子にする意思を有していなかったとする根拠とすることはできない。また、岩作は、前記一の8の岩作の本件公証人とのやりとり等を見ると、岩作の財産を誰に遺贈するか明確に答えられないなど、岩作の当時の判断能力等は相当弱っていたといわざるを得ないが、前記一の8のとおり岩作は自分の財産を康彦に直接譲る方法はないか、右財産を法律上誰からも苦情の出ないように穏やかに譲りたいといった発言をしているところ等から岩作が本件縁組届の作成当時右縁組に必要な意思能力に欠けていたとまでは認められない。

したがって、本件養子縁組は有効である。

三(結論)

以上のとおり、本件公正証書遺言は無効、本件養子縁組は有効である。すなわち、本件公正証書遺言の無効確認及び所有権移転登記の抹消登記手続を求める第一次、第二次請求中の右請求部分は理由がある。次に本件養子縁組は有効であるので、原告らの共有持分は各五分の一であるので、右共有持分の確認を求める請求は、第二次請求の限度で理由があるが、右部分を超える第一次請求は理由がない。したがって、第三次、第四次請求について判断するまでもなく、主文(結果的に第二次請求と同じ結論)のとおり判決する。

(裁判官宮﨑公男)

別紙物件目録

一、所在 東京都江戸川区興宮町

地番 二三五番一

地目 宅地

地積 330.77平方メートル

二、所在 東京都江戸川区興宮町二三五番地一

家屋番号 二三五番一

種類 居宅

構造 木造瓦葺二階建

床面積 一階 103.90平方メートル

二階 28.98平方メートル

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